木村かおりさん
Interview 01

木村かおりさん

高校一年生

腕や肩に強い痛みが生じ、
大好きなピアノを、目にするのも嫌になっていた毎日。
治療を受けて本当に救われました。

ピアノを3歳から練習してきた木村かおりさん。
いつからどんな痛みがありましたか?

小学校4年生の頃から、手や腕が痛くなることがありました。
整形外科で湿布をもらったり、時には注射を打ってもらったりしてピアノを続けてきました。
先生には腱鞘炎と言われて、そんなものかなと思いながら過ごしていました。

まさか、ピアノが弾けなくなるほどの強い痛みに襲われるとは、当時は思っていませんでした。
とても強い痛みが出始めたのは13歳の時です。
ピアノの練習中に突然、左肩を誰かに押さえられているような重さと、針でチクチク刺されているような痛みを感じました。
どうしていいか分からず、手さぐりで、でも痛くてどうしようもなくて途方に暮れていました。

以前から腱鞘炎で通っていた先生を急遽訪問したところ、先生の態度がこれまでと一変して、「はっきりわからないが、ストレッチするしかない。細身で華奢な体格が影響した」「リハビリしながら生活するしかないですね」と一方的に言われ、頼りにしていた先生に匙を投げられたように感じ、どうしたらいいかわからなくなってしまいました。

1週間、2週間と経過しても、痛みは改善するどころか余計にひどくなり、勉強をしようと机に向かっても、手を机の上に置いてじっとしていることが辛く、身体をつねに左右に振る動作をしないと我慢ができない状態でした。
外見は普通なので周りの誰にもこの痛みを理解してもらえなかったです。

学校の友達もはじめは、「何でも言って」とかばんを持ってくれたり、学校生活内でのサポートをしてくれたりしたのですが、2~3か月たっても同じように何か持ってと頼むと「え?」という顔をされ、友達ともうまくいない。学校でもどんどん孤独になっていきました。
他の子からは単なる腱鞘炎と思われ、痛いだけですぐ治るでしょって感じで避けられていきました。痛みによって学校生活の楽しみや人生が奪われたな、と思いました。日によっては学校に行くことができず、テスト期間は別室で1人でうけることもありました。

学校から帰ってきてごはんをたべることが大好きなのに、食べたいけど自分で食べられない。お茶碗が重い。お茶碗がもてない。コップもお箸もスプーンも持てない。しびれと脱力感。もう食べることをあきらめていました。介護のようにお母さんに食べさせてもらっていました。

お母さまのコメント

強い症状が出てからは、これまで通っていた先生だけでなく、総合病院や大学病院など紹介状を書いてもらい各地のいろいろな病院で診てもらいました。
この期間だけでも交通費・宿泊費なども含めると60万円以上費用をかけたと思います。娘の痛みの原因を知り本来の生活を取りもどしてあげたいと懸命に病院を探し、訪問する日々でした。
こんなに痛みで辛いのに、前向きに生きようとする娘の姿に、親としてなんとかしてあげたい。代われるものなら代わってあげたいと何度も思いました。

でも、どの病院でもはっきりした原因は説明してもらえませんでした。
とくに辛かったのは、どの病院でも3回ぐらい通院すると母親の私だけ診察室に呼ばれ「中学生だし仮病ではないか?」「実は本人がピアノを嫌がっているのでは?」「精神科を受診したほうがいいのでは?」と数か所の病院で同じことを言われました。
娘とはとても仲がいいので、先生に言われたことを正直に娘に伝えたのですが、痛みの治療はしてもらえず「精神科に行った方が良い」と言われたことがショックでした。信頼して治して欲しい一心で通院しているのに、心が傷ついていきました。

10代でまだまだこれから将来があるのにこんなことでダメにしてしまう。元気な子なのに何か原因があるはず。どんなことをしても救わないと未来がなくなってしまう・・・と親としては必死でした。

どんどん痛みが手から腕、肩へと上がってきて痛みがなくならない毎日で、ピアノが大好きなのにピアノをやりたいっていう意欲がなくなりました。痛みで何もしたくない。

勉強もピアノも両立するのが夢でしっかり取り組んでいたのに、それがかなわないどころか日常生活すらできなくなり、「もういいや!」と投げやりになりました。自分が目標としていたピアノの道が見えなくなりました。3歳からピアノ一筋でつみあげてきたものが一瞬にして崩れ落ちました。どうすればいいの?と聞いても「痛みと付き合っていくしかないよ」と、何人もの先生にいわれました。

でも私は、10代ですよ。あと何年あるの?ってその怒りがすごくありました。
小さいころからピアノは生活の一部。ピアノの音が聞こえる毎日が普通でした。痛みで音が出せない、弾くことができない状態で、居間にあるピアノもあれだけ好きだったはずなのに、目にするのも嫌になっていました。

モヤモヤ血管の治療を知った経緯や
カテーテル治療をうけることを決めたときの思いについて聞かせてください。

お母さまのコメント

何とか娘の気持ちをまぎらわせ、痛みを忘れてくれたらと思い、旅行にでも行こうと空港へ向かう電車の中でオクノクリニックの広告を見つけました。

普段、静岡にいるのですが東京は広告が多いなとアンテナをはってポスターや看板を見ていたら「原因がわからない痛みはモヤモヤ血管です」の言葉にこれだ!と思い、その場ですぐホームページを検索して調べ予約をしました。

ホームページを見つけただけでもうれしくてしょうがなかったのに早急にオンライン診察をいれていただき、テレビ電話のような形で先生に話を聞いてもらいました。今までの症状や、病院で言われたことなどを伝えたところ、肩の痛みの出ている部位に異常な血管ができている可能性が高い。先生に「そうであれば治ります!」と言われ飛び上がる思いでした。

お話しをきいてもらうだけでも、痛みを分かってくれる力強いお言葉をいただき、なかなか断言してくれる先生がいない中信頼できる!お願いできる!と安堵しました。モヤモヤ血管の原因やカテーテル治療が明確で納得感があり治療法があることだけでも本当に嬉しく思いました。

治療の当日はどのように感じましたか?

不安は少しありましたが早く楽になりたいって気持ちがあったので迷いはなかったです。
治療は40分くらいで、先生と話しながらほとんど痛くなくおわりました。手首に絆創膏をはって帰りました。

治療から2週間たった段階ではほとんど変化がなくて、不安になりました。でも先生からあらかじめ改善のタイミングは遅れると話をうかがっていたのと、何度も「治るから大丈夫」と言ってもらっていたのが安心材料でした。

痛い部位への注射も加えながら、1か月ほどしたら明らかに楽になりました。ピアノも1時間くらい弾けるようになり、2か月、3か月とするにしたがってどんどん良くなっていきました。練習が積めるようになり、以前弾けなかった難しい曲もできるようになり、半年後には人前でピアノを弾けるようになりました。

痛みに悩んでいた頃と比べ、
治療後はご自身の将来にどのような影響を及ぼしたでしょうか?

「自分よくやったな」って思います。
自分が痛みで辛いとき他のみんなが実力をつけていき、置いてきぼりにされるのが自分で許せない強い気持ちがあったので勉強も別室でうけるなど遅れをとらないようにしていました。精神的に泣いたり、苛立ったりといろんなことがありましたが諦めずに積極的に治療に取り組みました。
「大丈夫。治ります」という先生の言葉は精神的な面で大きく助けられました。
まさか、またピアノを弾くことができるとは思っていなかったので真剣に音楽の道を考えています。一度は、あきらめた音大にしっかり向き合い取り組みをはじめています!

今は、まったく痛みがありません。みんなのように自分でカバンをもって学校に通えるようになりました。

もし痛くなったらまた先生に診てもらえる、楽にしてもらえると思えるのが心強いです。しっかり治療してもらったので、がむしゃらにピアノをがんばれます。また痛くなるかもという恐怖心がなくなりました。

お母さまのコメント

治療をうけてからの娘は自然と笑顔がふえました。こんな痛い思いと気持ちを乗り越えた「自分ってすごい!」って、自信をもつようになりました。治療前はピアノのテクニックも落ちて、5分もピアノが弾けなかったのですが、ゆっくり基本の練習からはじめて、5月にカテーテル治療をうけて12月には人前でピアノが弾けるようになりました。前よりも積極的にピアノに取り組み上達している実感があります。昔から目標にしていた憧れの曲を自分のこの手で弾けるようになったことが、何より自信へとつながりました。

最後に同じように痛みに悩んでいる方へメッセージをお願いいたします。

何度も、「治るから」「大丈夫だから」って先生に言ってもらえたのが心の安心材料です。まず感謝。

身体的な痛みや心の痛みなど人間いろんな痛みがあります。この治療は、痛みで困っているみんなの症状を救ってくれるんじゃないかと思うぐらい助けられました。

私のような10代だと心細いというか、どうしていいか分からないと思います。どうしよう・・・どうしよう・・・と悩んでいたらこの治療を知って欲しいです。
自分は、本当に救われた。それを伝えたい一心です。